イージュー★ライダー [mind]


イージュー★ライダー

イージュー★ライダー

  • アーティスト: 奥田民生,東京ムービー企画部
  • 出版社/メーカー: SME Records
  • 発売日: 2005/03/24
  • メディア: CD



僕らは自由を 僕らは青春を
気持ちの良い汗を 決して枯れない涙を

幅広い心を くだらないアイディアを
軽く笑えるユーモアを うまくやり抜く賢さを

眠らない身体を すべて欲しがる欲望を
大げさに言うのならば きっとそういう事なんだろう






名古屋は、停電もなく、落ち着いている。


群馬の私の実家は「計画停電地域」で、
いつ停電になるのか、その日にならないとわからないそうだ。
電車は間引き運転だったり、ある路線などは全くの運休。
工場はもちろん、会社なども仕事にならない。
家庭にいても、改めて気付けば使えない道具ばかり。
公共施設も、ガスも水道も電気制御だったりして、トラブルが続出。
一方のガソリンは、先週くらいから十分に入る様になったそうだけれど、
その前までは、いつ給油が出来るのかもわからないような状態。
暖を取るにも、灯油も買えないし。


本当に、電気や石油が、いかに生活に密着しているのか、
身をもって体感している人が多そうだ。


♪テレビもましてやビデオなんていりません、ノンノン~


などと言えるのも、普段はどっぷりとお世話になっているからこそだよね。



日本のような地震大国には原発は向かなかったのかもしれないね、と思いつつ、
今まで通りの生活を維持するためには、原発で作った電気が必要だと思う。
火力発電所を増やして、CO2をガンガン排出する?
山を切り崩してダムを造る?
環境のために止めよう、って言ったのは、この前までの僕たち自身じゃないか。


原発反対派が増えているらしいけれど、
生活が不自由になれば、きっと、だんだん記憶は薄れてしまう。
自分さえよければ、なんて、大きな声では言わないけれど、
自分が可愛いのは人間の本能。
だったら、より知恵を絞って考えようではないか。
何が本当に大切なのか。


テレビで、ある企業の社長さんが言ってたのが良い言葉だな、と思った。


「無駄なことはしない。必要なことはする。」


果たして、何が無駄で、何が必要か、ってこと。
ひとりひとりがよく考える。
原発の被害の問題は、日本全体の問題で、
国民全員で、傷みを分け合わなければならない。
これから100年先まで、ずっとずっと、みんなで傷みを抱えて生きていくのだよ。
もうそれしか術がないのだから。


「日常に戻らなければならない」って言っている人がいた。
国民ひとりひとりが出来ることは、しっかりと日常を過ごすこと。
働ける人は働き、働けない人の生活を支えること。
テレビの前で泣いているのでは、あまりにも生産性がなさすぎる。


私は、自分の生活を真摯に送ってゆくこと。
無駄なことはしない。
必要なことはする。
100億円も寄付できないけれど。
被災地に行って炊き出しすることはできないけれど。
これから先も、長いスパンで、私の出来ることをしようと思う。
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 2

riamn

もし僕らが豊かさを求める余りに大切な何かを失うという過ちを犯したのだとしたら、

その代償がこの現実なのだろうか?


それは余りにも苛酷だし、悲しすぎると思う。

でも、此処にたった一つだけ信じられることがある。


それは、永遠に生きながらえることなど叶わないという真実だ。


人は、いつか死ぬ。

それならば、未来を憂うのは止めにしよう。

どんなに悲しくても、どんなに辛くても、どんなに未来が信じられなくても、

今日という日を精一杯慈しもう。


何が起ころうと、太陽は沈むし、そして再び太陽は昇る。


だから恋をしよう。

一緒に喜び、一緒に泣こう。

ときには互いの心の齟齬から生じる蟠りを吐き出そう。


そして悲しいときには、互いに支えあおう。


そうやって、魂が浄化されてゆく過程を、

静かに受け入れよう。


僕はそう思います。


未来を憂いていてもそこからは何も始まらないから。

http://riamn.blog82.fc2.com/blog-entry-957.html

http://riamn.blog82.fc2.com/blog-entry-958.html




佐野さんのウェヴ・サイトにとても力強く崇高な詩が掲載されていましたので、以下に抜粋させていただきます。

“君は偽善の涙など流さないと誓ってくれ

決まりきったお悔やみなど無用だと言ってくれ

夜が明けて、そこにいつもどおりの太陽が照り、

草木は首をもたげ、

鳥たちは空を往く


たとえば、

偶然にも生き残った君の生を讃えてみてはどうだ?

たとえば、

生き残ったことへの幸運を噛みしめてみてはどうだ?


不謹慎だとわめく偽善者を残し

君が光を放つことで、友を弔うんだ


それを「希望」と名づけていいんだよ”



佐野元春 それを「希望」と名づけよう より抜粋

http://www.moto.co.jp/hope/



桜が咲きました。とても綺麗です。その妖艶な艶やかさはまさに僕らの希望の象徴のような気がします。
by riamn (2011-04-08 20:10) 

チハル

生きているということは、未来があるということ。
生かされているということは、未来を担っていく使命があるということ。
その権利がある、と同時に、その義務がある、ということ。
希望の光を見ることが出来る。

「他人のために何かをしてあげよう」
「何をしたら他人が喜んでもらえるか」
なんて思うことは、ただの自己満足で奢りなのかもしれない。

それでも、誰かに何かをしてもらったり、
誰かの為に在りたいと思うことが、
健全な社会であり、
そうして成り立っているんだよね。

難しく考えすぎると、どんどん自分の中の「悪」みたいなものに侵されて、
それが「うつ」というものなのじゃないかと思ったりもする。
本当はもっとシンプルでいいんじゃないかと思う。
あなたが誰も傷漬けなければ、誰もあなたを傷つけたりしないんだよ、と。

ただ優しいだけなんて、甘いのかもしれないとか思いつつ、
やっぱり甘い方がいいんじゃないか、とか思うんだよね。
by チハル (2011-04-16 07:51) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

ニッポンのヒール|- ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。