時をかける少女 [mathematics]
あなた 私のもとから
突然消えたりしないでね
二度とは会えない場所へ
一人で行かないと誓って
私は 私は 彷徨い人になる
時をかける少女 愛は輝く舟
過去も未来も 星座も越えるから
抱きしめて
「時をかける少女」原田知世(1983.4)
作詞、作曲:松任谷由実
たとえば。
「褪せた写真のあなたの傍らに」
と言われたときに、誰の肩を思い出すであろう。
学生の頃の、初恋の君?
それとも、その君を見つめる自分?
時空の波を泳いで、辿り着いたその先で、一体何を見たいと思うだろうか?
「時をかける少女」はパラドックス。
科学者たちが憧れてやまない「タイムトラベル」。
それが何の意味があるの?と言うかもしれないけれど、
全ての物事には、何らかの意味や繋がりがあるんだ、と思うと、
人は「証明」したくて仕方ない、というのが本能なんだと思う。
どうやって、その事実を確立してゆくのかを、いろんな方向から見回して、
こねくりまわして、ああでもない、こうでもない、と考える作業は留まることがない。
数学は哲学!
悔しいくらいに、数学の世界は素敵!!
私は小さい頃、「算数」が好きだった。
なぜ「算数」が好きなのか、
その時にその理由は全くわからなかったのだけれど、
多分、そこにちゃんと「解答」があって、
そこへ辿り着くまでの、
絡まった糸を解いてゆくような作業が好きだったのだと思う。
ところが。
中学、高校、と学年が上がるにつれ、「数学」はどんどん難解になってゆく。
簡単に解ける糸ばかりではなくなってくる。
テストという限られた時間の中で、
解き明かせないまま、×を付けられることが増えてゆく。
そうすると、果たして、本当に「数学」が好きなんだろうか?と思い始める。
受験は過酷。
勉強は、時間との戦いだった。
本当なら、数学が好きならば、数字のことだけを四六時中考えていればいいはずなのに。
そうでなければ、本当に数字のことなんて好きにならないんじゃないか?
大学生の時に、個人指導の塾で、中学2年生の男の子に数学を教えたことがある。
正直に言えば、彼は「落ちこぼれ」だった。
一次方程式を解くのもままならないレベル。
それなのに、学校の授業でやっている連立方程式を解かなければならないのだと言う。
小学3年生まで戻って、ちゃんと、積み上げていかなければ、
同級生と同じテストで満点を取ることなど不可能だと、分かっていたけれど、
彼には時間がなかった。
私は、泣きたくなった。
丁寧に、足し算から、引き算から、
ひとつひとつ教えて、1時間かければ、
この子だって、連立方程式を解くことが可能なのに。
そうして塾の時間でやり遂げても、
次の週になれば、教科書が先に進んでしまう。
やっと組み立てられそうだった真実を理解する前に、
また新しい難問が目の前に立ちはだかる。
これでは、いつまで経っても、真実など見えない。
こうして、また、「数学嫌い」を作ってしまうのだろう。
残念だ。
世の中のいろんな出来事には意味がなくて、
でも、そこに存在している全てのものには理由があって、
それがパラドックスであったとしても、様々な形で証明することが可能で、
過去も、未来も、星座も越えることも、目に見える事実。
早いことは訓練。
考えることは自由。
突然消えたりしないでね
二度とは会えない場所へ
一人で行かないと誓って
私は 私は 彷徨い人になる
時をかける少女 愛は輝く舟
過去も未来も 星座も越えるから
抱きしめて
「時をかける少女」原田知世(1983.4)
作詞、作曲:松任谷由実
たとえば。
「褪せた写真のあなたの傍らに」
と言われたときに、誰の肩を思い出すであろう。
学生の頃の、初恋の君?
それとも、その君を見つめる自分?
時空の波を泳いで、辿り着いたその先で、一体何を見たいと思うだろうか?
「時をかける少女」はパラドックス。
科学者たちが憧れてやまない「タイムトラベル」。
それが何の意味があるの?と言うかもしれないけれど、
全ての物事には、何らかの意味や繋がりがあるんだ、と思うと、
人は「証明」したくて仕方ない、というのが本能なんだと思う。
どうやって、その事実を確立してゆくのかを、いろんな方向から見回して、
こねくりまわして、ああでもない、こうでもない、と考える作業は留まることがない。
数学は哲学!
悔しいくらいに、数学の世界は素敵!!
私は小さい頃、「算数」が好きだった。
なぜ「算数」が好きなのか、
その時にその理由は全くわからなかったのだけれど、
多分、そこにちゃんと「解答」があって、
そこへ辿り着くまでの、
絡まった糸を解いてゆくような作業が好きだったのだと思う。
ところが。
中学、高校、と学年が上がるにつれ、「数学」はどんどん難解になってゆく。
簡単に解ける糸ばかりではなくなってくる。
テストという限られた時間の中で、
解き明かせないまま、×を付けられることが増えてゆく。
そうすると、果たして、本当に「数学」が好きなんだろうか?と思い始める。
受験は過酷。
勉強は、時間との戦いだった。
本当なら、数学が好きならば、数字のことだけを四六時中考えていればいいはずなのに。
そうでなければ、本当に数字のことなんて好きにならないんじゃないか?
大学生の時に、個人指導の塾で、中学2年生の男の子に数学を教えたことがある。
正直に言えば、彼は「落ちこぼれ」だった。
一次方程式を解くのもままならないレベル。
それなのに、学校の授業でやっている連立方程式を解かなければならないのだと言う。
小学3年生まで戻って、ちゃんと、積み上げていかなければ、
同級生と同じテストで満点を取ることなど不可能だと、分かっていたけれど、
彼には時間がなかった。
私は、泣きたくなった。
丁寧に、足し算から、引き算から、
ひとつひとつ教えて、1時間かければ、
この子だって、連立方程式を解くことが可能なのに。
そうして塾の時間でやり遂げても、
次の週になれば、教科書が先に進んでしまう。
やっと組み立てられそうだった真実を理解する前に、
また新しい難問が目の前に立ちはだかる。
これでは、いつまで経っても、真実など見えない。
こうして、また、「数学嫌い」を作ってしまうのだろう。
残念だ。
世の中のいろんな出来事には意味がなくて、
でも、そこに存在している全てのものには理由があって、
それがパラドックスであったとしても、様々な形で証明することが可能で、
過去も、未来も、星座も越えることも、目に見える事実。
早いことは訓練。
考えることは自由。
2009-12-02 14:05
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コメント(2)
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NICEです!
僕の親父は塾の経営者でしたが、いつも同じ事を言っていました。
真剣に教えても結局は1週間おくれてしまうと毎回毎回堂々巡りになるって。
真剣に塾の生徒の事を考えながら、問題を作っても相手が塾に無理矢理行かされているって思っているうちは意味がないとも言っていました。
ってか、僕もかなり数学嫌いでした(^^)
最終的には克服できましたが・・・(^^)
by mirai (2009-12-02 22:37)
miraiさん、こんにちは。
そうなんですよね~。
塾講師は誰もが悩むところなのかもしれません。
本当は、勉強することは知らないことを知ること、楽しいこと、のはずなのに、みんなが同じスピードで同じ知識を身につけなければならない、という現実はとても難しいと思います。
それぞれ、興味があることも違うし、身につくスピードだって違うのだから。
私は、みんな一緒じゃなくたっていいと思うのですが、現代の教育現場は、なかなかそれを許してはくれないですね。
「数学」は「真実を知る」学問だと思います。
「真実」を知りたいと思えば、自ずと好きになるはずなのですよね!
by チハル (2009-12-03 16:52)