名もなき詩 [mind]
愛はきっと 奪うでも与えるでもなくて
気がつけばそこにあるもの
「佐野元春のザ・ソングライターズ」がセカンドシーズンになって帰ってくる!
http://www.nhk.or.jp/songs/song-w/
佐野元春が聞き手となって、ソングライターをゲストに招き、音楽における“言葉”をテーマに、講義形式で対談を行なう番組「佐野元春のザ・ソングライターズ」。 7月から三ヶ月間、6人のソングライターが12回にわたって放送する予定です。
元春さんに「名言だよね!」と言われて、桜井さんはちょっと照れくさそうに、でも誇らしげに笑っていた。
自分の中にあるものを表現したい、という欲望と、
それを形にすることの難しさは、大体の人にわかると思うのだけれど、
そこで「商業」というしがらみがあるのは、プロにしかわからないことなんだよね。
なんで、J-POPには言葉が必要なんだろう。
しかも、1番とか2番とか、繰り返したりするメロディーに違う歌詞を付けなければならないんだろうね。
でも、それって、マジックなんだ!
リピートされて、人の心により深く深く、1回目では届かなかったところまで浸透してゆく感覚。
そして、歌詞があるからこそ、歌詞が違うからこそ、より、細かい部分にまで届くような気がする。
「2番のサビの部分に、その曲の一番伝えたいことを持って行きたいと思っている」
と言った桜井氏は、私の理想だ、と思った。
同じ歌詞を何度も繰り返すことにも、もちろん意味はある。
場合によっては、歌詞なんてなくてもいい?という時もある。
(小田和正さんの回のときもそんな話がでた)
でも、2番の歌詞で「ドキューン!」とハートを打ち抜かれた曲は、紛れもなく自分にとって「特別な曲」になる。
小説にしても、映画にしても、しっかりとした伏線がある作品の方が断然面白いのと同じで、
やっぱり、強い部分や弱い部分や、核となる部分とそれを支える部分と、
5分の歌の中にも、いろんな要素があってこそ、なりたっているのだよね。
2番のサビに一番強いメッセージがある、ということは、
1番のサビですごく重要なことを語っているようでも、それは実は大義名分的な言葉で、
本音は2番のサビなのか?ってことが気になりますよね。
ちなみに、「名もなき詩」の1番のサビはこんな歌詞。
あるがままの心で 生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いてた
自分らしさの檻の中で もがいてるなら
僕だってそうなんだ
どう思います?
そんなことを思いながら、歌詞を読んでいると、学生の頃の国語の試験みたいだな、なんて思ったりもする。(笑)
私は学生の時、国語の授業は好きではなかったけれど、
例えば、その作家のことが好きなら、その人が本当に言いたい部分がどこであるのか、知りたいと思うよね。
そういうことかなぁ。。。?
街の至る所で垂れ流される流行歌は、フルサイズで聴けないことも珍しくない。
「ザ・ソングライターズ」に出るゲストはみんな「プロ」なので、
「商業」というものの話も何度もされている。
つまりは「売れてナンボ」。
インパクトがなければ駄目で、多分、一番、リスナーに届きやすいのは、タイトルと1番のサビの部分で、
それをあえて、自分にとって一番の言葉を2番の歌詞に持ってくるには、
それだけ多くの引き出しが必要、ってわけなんだよね。
人間は本能で音楽が好き。
だから、求めてしまう。
辛く苦しい時も音楽は助けてくれる。
いろんな出来事が波のように押し寄せてきて、苦しくて息ができない。
ゆっくり落ち着いて、波のリズムに合わせて呼吸をすればいいんだよ、と頭ではわかっているのに、
ただただ、パニックになっている。
何も恐れることはないのに、何かに怯えている。
自分で自分のクビを締めているのだ。
わかっていてもできないことも世の中には沢山ある。
それでも、代弁してくれる歌詞があれば、どれほど楽になれるだろう。
歌える歌があれば、どれだけ救われるだろう。
気がつけばそこにあるもの
「佐野元春のザ・ソングライターズ」がセカンドシーズンになって帰ってくる!
http://www.nhk.or.jp/songs/song-w/
佐野元春が聞き手となって、ソングライターをゲストに招き、音楽における“言葉”をテーマに、講義形式で対談を行なう番組「佐野元春のザ・ソングライターズ」。 7月から三ヶ月間、6人のソングライターが12回にわたって放送する予定です。
元春さんに「名言だよね!」と言われて、桜井さんはちょっと照れくさそうに、でも誇らしげに笑っていた。
自分の中にあるものを表現したい、という欲望と、
それを形にすることの難しさは、大体の人にわかると思うのだけれど、
そこで「商業」というしがらみがあるのは、プロにしかわからないことなんだよね。
なんで、J-POPには言葉が必要なんだろう。
しかも、1番とか2番とか、繰り返したりするメロディーに違う歌詞を付けなければならないんだろうね。
でも、それって、マジックなんだ!
リピートされて、人の心により深く深く、1回目では届かなかったところまで浸透してゆく感覚。
そして、歌詞があるからこそ、歌詞が違うからこそ、より、細かい部分にまで届くような気がする。
「2番のサビの部分に、その曲の一番伝えたいことを持って行きたいと思っている」
と言った桜井氏は、私の理想だ、と思った。
同じ歌詞を何度も繰り返すことにも、もちろん意味はある。
場合によっては、歌詞なんてなくてもいい?という時もある。
(小田和正さんの回のときもそんな話がでた)
でも、2番の歌詞で「ドキューン!」とハートを打ち抜かれた曲は、紛れもなく自分にとって「特別な曲」になる。
小説にしても、映画にしても、しっかりとした伏線がある作品の方が断然面白いのと同じで、
やっぱり、強い部分や弱い部分や、核となる部分とそれを支える部分と、
5分の歌の中にも、いろんな要素があってこそ、なりたっているのだよね。
2番のサビに一番強いメッセージがある、ということは、
1番のサビですごく重要なことを語っているようでも、それは実は大義名分的な言葉で、
本音は2番のサビなのか?ってことが気になりますよね。
ちなみに、「名もなき詩」の1番のサビはこんな歌詞。
あるがままの心で 生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いてた
自分らしさの檻の中で もがいてるなら
僕だってそうなんだ
どう思います?
そんなことを思いながら、歌詞を読んでいると、学生の頃の国語の試験みたいだな、なんて思ったりもする。(笑)
私は学生の時、国語の授業は好きではなかったけれど、
例えば、その作家のことが好きなら、その人が本当に言いたい部分がどこであるのか、知りたいと思うよね。
そういうことかなぁ。。。?
街の至る所で垂れ流される流行歌は、フルサイズで聴けないことも珍しくない。
「ザ・ソングライターズ」に出るゲストはみんな「プロ」なので、
「商業」というものの話も何度もされている。
つまりは「売れてナンボ」。
インパクトがなければ駄目で、多分、一番、リスナーに届きやすいのは、タイトルと1番のサビの部分で、
それをあえて、自分にとって一番の言葉を2番の歌詞に持ってくるには、
それだけ多くの引き出しが必要、ってわけなんだよね。
人間は本能で音楽が好き。
だから、求めてしまう。
辛く苦しい時も音楽は助けてくれる。
いろんな出来事が波のように押し寄せてきて、苦しくて息ができない。
ゆっくり落ち着いて、波のリズムに合わせて呼吸をすればいいんだよ、と頭ではわかっているのに、
ただただ、パニックになっている。
何も恐れることはないのに、何かに怯えている。
自分で自分のクビを締めているのだ。
わかっていてもできないことも世の中には沢山ある。
それでも、代弁してくれる歌詞があれば、どれほど楽になれるだろう。
歌える歌があれば、どれだけ救われるだろう。
2010-07-01 09:33
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コメント(2)
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日々の営みの中で・・・
日々、浄化され・・・日々、生まれ変われる。
そのための最強のツールとしてロックンロール(ポップ・ミュージック)は存在する。
どんな苦いメッセージでさえ、メロディとビートに寄り添われることで、
強靭な生命力を宿して、肯定される。
それって・・・とっても素晴らしい奇跡だなぁ~って思います。
名も無き詩の・・・ちからだねっ。(笑)
by riamn (2010-07-03 22:10)
riamnさん、こんにちは。
どうしてこんなに歌詞が多い曲が「名もなき詩」なんていうタイトルなんだろうな?と思ったのですが、だからこそあえて、このタイトルにしたんだろうな、という考えに辿りつきました。
愛情っていうカタチのないもの
見つけるのはいつも困難だね
そうそう、気恥ずかしいキザな言葉を日常口になんて出来ないわけで、でもロックのシャウトなら、「愛してるぜ〜!」なんて言えちゃうわけで、でも言えると気持ちよかったりするわけで。
歌詞はあった方がいい、ってことなんだと思うのです。
by チハル (2010-07-04 15:57)