グッドバイからはじめよう [diary]


ちょうど波のように
さよならが来ました
言葉は もう何もいらない
ただ見送るだけ

遠く離れる者
ここに残る者
僕が決めても かまわないなら
何も言わないけれど

どうして あなたは
そんなに 手を振るのだろう
僕の手は ポケットの中なのに



「グッドバイからはじめよう」佐野元春(1983.3)






祖母の葬儀で号泣してしまった。
自分でも思いがけないほど、感情が溢れてしまった。



最近の私は、人との繋がりが消えてしまうことにめっぽう弱い。
いくらでも新しい出会いを増やしていけるはずなのに、
今、持っているものも、一つたりとも無くしたくないのだ。



人はみな、ずっとそのままではいられない。
時には、手を降ることも、必要。
それをわかっているのに、ポケットから手を出さない自分は、
なんと子供なのだろう、と呆れるばかり。



古いアルバムを見ると、
昔から「おばあさん」だったと思っていた人は「おばさん」で、
「おばさん」だと思っていた人は、素敵な「お姉さん」だった。



当たり前だけど。
人は、みな、歩かされている。



どこへ行く?

グッドバイ [memories]


16の頃 僕は 
黒い壁にもたれて
朝も 昼も 夜も 
通り過ぎる人たちを眺めてた

流れる車のような
退屈な毎日
17号線を北に向かう
最終バスに乗る

別に自由が
ほしかったわけじゃない
ポケットの中に
溢れそうな苛立ち



「グッドバイ」渡辺美里(1989.7)(アルバム「Flower bed」)
作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将





子供の頃から、「将来の夢」をちゃんと描いたことがない。
ある年齢までは、何かにつけて聞かれるのだ。
「大きくなったら、何になりたい?」



友達が、「お花屋さん」と言っても、
「幼稚園の先生」と言っても、
どれもピンとこなかった。
大体、私は、少しへそ曲がりな人間で、
人と同じ言葉を書くのが嫌だった。
でも、人から「変だ」と思われるのも嫌だった。



まあ、何かにはなるんだろう、と、ぼんやりと思っていた。
それは、
中学生になっても、
高校生になっても、
大学生になっても、
社会人になっても、
いつまでも、そう思い続けることになる。



高校1年生の時に、
「10年後の自分」という作文を書かされた。
当時、女子高に通っていた私のクラスメートたちは、
こぞって、
「好きな人と結婚して、可愛い子供に恵まれ、幸せな生活を送っています♪」
と書いた。
それをみた担任の教師は言った。



「みんな、意外とつまらないこと書くのね。がっかりしたわ。」



私もそう思った。
でも、それを否定もしなかった。
そういう人生もあるし、きっと幸せだろうとも思った。
でも、自分は違うと思った。



その時、私が書いた10年後の自分は、
一人部屋で死んでいる、という有様だった。



一応、ギャグだった。(笑)
誰も触れてくれなかったけど。



将来を悲観していたわけでもないし、
自殺願望があったわけでもないし、
本当に10年後に死ぬつもりはなかった。
でも、私には、10年後のビジョンが全く浮かんでこなかった。
だから、その作文の中の自分は死ぬしかなかった。。。



生きている事実に、「何か」なんていうカタチはあるものなんだろうか?
そこに存在していることが全てで、それ以上でも、それ以下でもない。



お金はあった方がいい
家族はいた方がいい
恋人はいた方がいい
住む家は快適な方がいい
敵は少ない方がいい
病気はしない方がいい
天災はない方がいい



・・・・・



うん、そうね。
願望なんて、挙げても挙げても、キリがないってことね。



5年くらい、病院生活で、
ここ半年くらいは意識もぼんやりとしていて、
点滴しながらベットに寝たきりだった
94歳のばあちゃんが先週末、亡くなった。
ばあちゃんは、何を思い、何を欲しながら、現世を後にしたかな。
自分が94歳までこの世界にいたら、何を思うかな。



金曜日、お葬式に行ってきます。

Love [children]



Love is real, real is love,
Love is feeling, feeling love,
Love is wanting to be loved.

Love is touch, touch is love,
Love is reaching, reaching love,
Love is asking to be loved.

Love is you, you and me,
Love is knowing we can be.

Love is free, free is love,
Love is living, living love,
Love is needing to be loved.



「Love」John Lennon





この曲は、とにかく素晴しいの一言に尽きる!
「愛」というものは深いね。
私がこの曲の中で、一番深いな、と感じるのは、



Love is wanting to be loved.

Love is needing to be loved.



この2行。
つまりは、「be loved」



愛してばかりでも、愛されてばかりでもダメなんだなぁ、と思う。
どれだけ自分でいろんな思考をぐちゃぐちゃと張り巡らせても、
結局は、誰かと係ることによって、そういうものは変わってしまうし、
時に、他人に自分を侵されたくない、と強く思いながらも、
それは無理な話なんだよなぁ、みたいな。



miraiさんのブログ「TRANSIT」の記事を読み、
激しく怒っていた、昨日。
「命 ~ 柳 美里の非道さと世間の冷たい壁」
http://transit2009tansit.blog.so-net.ne.jp/2010-02-01-2



「柳 美里」という人。
この人は一体どんな人なのかと、ネットで検索しまくり、
本人のブログから、文芸記事から、ニュースから、ゴシップ記事から、2ちゃんねるまで、
様々な記事を読ませていただいた。
で、同じ母親という立場から、物申したいことが、とにかくとにかく、沢山あったので、
この場所に、だだーーーーーっと、私の考えを書いたのであるが、



消した。



私の考えが変わったわけでも、彼女の考え方を認めたわけではない。
どうにも違和感を覚えるし、私には理解不可能な世界だ。



ただ、この出来事に関する、親子の絆について考えたときに浮かんだ曲は、
私にとってはこの曲だった。



彼女に留まらず、世界中の人に。



いろんな人や、いろんな物を、愛して欲しいし、
愛されたいと思って欲しい。



人それぞれ、いろいろな考え方があるであろうが、
私は、愛されていると感じることが出来る人は、
誰かをまた、愛せる人なのだと思う。
そして、愛した人が、また愛される人になる。



この循環は、最強だっ!



甘い、かな?(笑)

Delicacy [mind]


何だかんだ言っても 誰かを求めることで
喜んだり喜ばれたりしている
多分平行線みたいに見えるけど 干渉ばっかしてる
もどかしくも 少し興奮したりね するわ



「Delicacy」My Little Lover(1995.12)
作詞:KATE、作曲:小林武史





オンナはコミュニティが好き。



気の合う仲間で集まって、ああでもない、こうでもない、と
様々な話題で情報交換を行う。
その中で、自分の存在を確認しているような気がする。



「輪」から外れてはいけない。。。



少し、カタチの変わったタイプの人を見つけると、排除したがる。
そして、更には、その人間が「敵」だと判断すると、
一斉に攻撃を始める。



みんなで。



ああ、めんどくせえ・・・。



私はこのコミュニティが苦手。。。
でも、例え、苦手だとしても、
生活していく上で、なかなか避けて通れないことも多い。
とりあえず、当たらず、触らず、
なるべく嫌われないように、こなしてゆくだけ。。。
それでなんとか社会との係りが継続できる、かな?



でも、このコミュニティって結構大事だったりする。
いい情報も得られたりもする。
そして、嫌われちゃあ痛い目を見るぞ、ということがあるからこそ、
女性は人の道から外れにくいのだと思う。
世界中、大体何処の国でも、犯罪を犯す人の過半数は男性。
日本に至っては8割が男性。



仕事がなくなって、派遣村に足を運ぶほとんどの人が男性。



犯罪にも様々な形や理由があるとは思うが、
とりあえず、人並みに。。。というのは、犯罪の抑止力になることは、間違いないだろう。



悪気もない、他意もない、
でもちょっとだけデリカシーがないんだわ。。。



女性目線の歌詞が書ける男性、って凄いと思う。
オトコってそうなの。
って、オンナが思っている、ってことが、よくわかってらっしゃる。。。

ありあまる富 [mind]


僕らが手にしている富は見えないよ
彼らは奪えないし壊すこともない
世界はただ妬むばっかり

もしも彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返してもらうまでもない筈
何故なら価値は生命に従って付いてる



「ありあまる富」椎名林檎(2009.5)
作詞・作曲:椎名林檎 補作曲・編曲:いまみちともたか





寄付がキライ。


「ハイチ大地震の寄付にご協力ください」と、30~50代くらいのスーツの男性が数名、街頭に立っていた。


ハイチの被災者の方々は不憫だと思う。
私に出来ることがあれば助けてあげられたらいいとも思う。


ただ、その箱に入れた、私の大事なお金は、本当にその人たちの手元に届くのだろうか?


そもそも、そのいい年齢の男性たちが、立っている意味がわからない。
本当にお金が必要だったら、労働したらいいと思う。
よっぽどまとまったお金が手に入ると思う。
それでは不公平だと言うのであれば、国の税金でまかなった方がよっぽど合理的だ。
「ハイチ税」とか言って、全員から、1円でも2円でも、徴収したらいい。


そう、世の中なんて不公平なんだ。


職場に官庁を退職した後にやってきたOBと呼ばれる人がいる。
前の職場でたっぷり退職金をもらったくせに、また、この会社で高い給料をもらっている。
それでも、賃金に見合った仕事をしているならまだ許せるが、
新聞読んで、お茶飲んで、世間話してるだけ。
今日は、「朝青龍は親方の指導が悪いからこうなったんだ」と、大きな声で喋っている。
この前は、「小沢(一郎)がああだから、鳩山はダメなんだよ」とか何とか。
お前の友達かよ?
と思わず突っ込みたくなる。


私は65歳になったら、恐らく、給料はもらえないだろう。
世の中は不公平だ。


でも、こうして、豊かな日本という国にたまたま生まれただけで、
大病することなく、飢餓に苦しむことなく、日々、何となく生きてゆけている。
たまたま、貧困に喘ぐ国の真ん中で生まれる人もいる。
どうあがいたって、世の中はまっ平にはなれないんだと思う。


苦しい。


今、与えられた運命を全うするしか、人が生きる方法なんてないのかもしれない。

雨に唄えば [memories]


デパートが好き。
デパートで働いたことが2度ほどあります。
1度目は靴屋さん。
2度目は本屋さん。
どちらも、楽しい仕事でした。



ところで、

大抵のデパートでもBGMというものが流れていると思うのですが、
デパートで「雨に唄えば」が流れるとき、というのは、


雨が降ってきた、というサインのことが多い。


窓のない館内で働くデパガのみなさんにとって、
その時の外のお天気はわからないので、
そのBGMを耳にすることで、
「雨が降ってきたんだな」ということを知るのが一般的。
そうすると、品物を入れる袋をビニール製のものに変えたり、
紙製の手提げ袋にビニールを掛けたりするのであります。



今、私が働いている職場はデパートではないのですが、
社内にBGMが流れています。
その曲目はCDを定期的に業者の方が変えてくださる、というしくみのものなのですが、
今、流れてるラインナップの中に、「雨に唄えば」があります。


それが、流れると、ついつい「雨?」と外を見てしまいます。(笑)


そう、「パブロフの犬」です。(笑)


もちろん、このBGM、お天気には関係ありません。
ピーカンのお天気だったりすると、ガッカリしてしまいます。



そんなことを言ってる今も「雨に唄えば」が。。。


今、外は、雪がすぐにでも落ちてきそうな、真っ白い空です。


Image035~00.jpg

おなじ星 [family]

「恋してる」とか「好き」とか
そんな気持ちじゃ済まされないんだ

胸の奥でささやく声に
はげまされてここまで来たよ

星の数ほど訪れる巡り逢いの中で
あなたが私を
たったひとり愛してくれたから
もう迷わない
悔しくて涙こらえる夜も
微笑む朝にも
やわらかいあなたの声に
抱かれてる


「おなじ星」Jungle Smile(1998.6)
作詞:高木郁乃、作曲:吉田ゐさお





ワケあって、今日から母子家庭です。



あ、一家離散、というわけではありませんので、
ご安心を。(笑)



ちょっとだけドキドキしながら、
ぐらぐらと不安な気持ちを抱きながら、
今、幸せすぎて見逃しているような小さな事に、
改めて気付くことができたらいいな、なんて。



おなじ星の住人である、私たち家族は、
おなじ旅し続ける運命共同体。
幸運も、困難も、みんなで感じてゆければいいな、と思う。



この先、ずっと、ずっと。

START [diary]


おはようございます。


実は、こことは別の場所で、4年間ブログをやっていました。
先程、そのブログを閉鎖しました。


スッキリしました!


4年間、いろいろなことがあり、
沢山のお友達ができ、
楽しいブログライフを送ってきました。
が、1年半くらい前から、とあるブロガーさんとちょっとしたトラブルになり、
とても困ってしまっていました。


その人は「ネットストーカー」でした。


最初は熱烈なファンという感じでしたが、
そのうち、脅迫めいたコメントを書かれるようになり、
他のお友達との交流を嫉妬され、
常に私の生活を監視されている、そんな感じになりました。
その人は、私にとって一番になりたいのだそうです。
顔も見えないネットの世界で、恋人のような気分なのだと思います。
その感覚がよくわかりませんが。。。(苦)


大好きなお友達も沢山いたので、
縁を切ってしまうことが惜しくて、
ずるずるとここまで続けてきてしまいましたが、
とりあえず、こちらのブログをメインにしよう、という
決心がついたので、
思い切って閉鎖してきました!


今までのような思いはしたくないので、
そこでのお友達にはここのブログの存在は教えないことにしました。



そんなわけで、新しいスタートです!



これからもよろしくお願いします♪

今だけの真実 [mind]


蒼い波 レースのよう 寄せて散る
心配よ 私よりあなたのことが

そうよ 心から大切よ だから



「今だけの真実」斉藤由貴(1986.3)
作詞:斉藤由貴、作曲:MAYUMI








例えば、そこに硝子の破片が落ちている。
誰かがそれを踏んで怪我をするかもしれない。
でも、誰も踏まないかもしれない。



君は、自分が怪我をするかもしれないというリスクを背負って、それを拾いに行くかい?





父と私は、
お互いを傷付けたくないから、と、わざと斜めを見ているような関係を、
ずっと長い間、続けてきた。
それでも、いつかは、ケリをつけなければならないこともある。



遠くから見れば穏やかに見える海原も、
実際にその中に入ってみれば、波が絶えることはない。



時には、頭上も越えるほどの波に、飲み込まれる。



泣きたくなるほど嬉しいことも、
涙が止まらないほど悲しいことも、
留まることなく、押し寄せてくる。



何もできない無力な私は、
ただ、飲まれることしか出来ない。



とりあえず生きていれば、とか言うけれど、
本当にそれでよかったのかな。
本当は、もっと頑張れたんじゃないのかな。



とにかく。
昨日の電話口の父は、
ただの小さな老人のようで、
私は、それだけで、泣けてきて仕方なかった。



私は、この年になって、やっと父から離れるのかもしれない。



期待させてごめんなさい。
期待に添えなくてごめんなさい。



昨日から、ずっとその言葉だけが頭の中で駆け回る。

JANUARY [partner]


JANUARY
年を重ねて その分もっと拙くていいから
JANUARY
きみはいちばんきみらしくいて そばで守るよ

世界中の幸せより
きみがぼくだけに笑いかけること

これはきっと言葉じゃなくて
しんしん しんしん 近づいて
何も言わずに 同じ時間を
ゆっくり刻むこと

ゆっくり刻むこと
ゆっくり刻むこと



「JANUARY」大江千里(1985.12)(アルバム「乳房」収録)
作詞、作曲:大江千里





冬本番の
冷たい空気は
新しい匂いがする。



でも、本音は、
早く春にならないかな、と思ったりもする。



なぜ、この季節を1月にしたのだろう?
誰か知ってる?
いつから1月は始まったのだろう?



新しい月は、
これから起こるかもしれない新しい出来事にワクワクすると同時に、
それまで積み上げてきたものを確認する、
そんな月なのかもしれない。



それは、行動的に外に出たくなる4月より、
じっと寒さを堪えて春を夢見る1月の方が、
向いているかもしれない。



同じ時間をゆっくり刻むことの幸せは、
当たり前すぎてなかなか気づかないけれど、
本当は、それが一番二人にとっての財産かもしれない。



それにしても、若干25歳で、時間をゆっくり刻むことの貴重さを知っている千ちゃんは素晴らしい。
ちなみに、このアルバムのこの曲の前の曲は「六甲ガール」。
このギャップもまたいいのだ。[手(チョキ)]






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