埠頭を渡る風。 [mind]


流線形’80

流線形’80

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1999/02/24
  • メディア: CD



「埠頭を渡る風」松任谷由実(1978.10)







自分は、ネガティブな性格だと思う。
その上、決断力にも欠ける。
ああだ、こうだ、と、こねくり回した挙句やっとケリをつけた事柄なのに、
また後になって、ああすればよかった、などと思うのだ。



いや、もしかしたら、後になってそんな風に思うからこそ、決断力がないのかもしれない。



それでも、意外とすぐに忘れてしまうのだ。
だから、もしかしたら、ネガティブというのは違うのかもしれない。



数学に「背理法」という「証明」がある。
私は学生の頃、「証明」という作業がとても大好きだったのだけれど、
「背理法」は特に大好きだった。
「屁理屈」のような気がすることも多々あるけれど、
事実じゃないことは、どうひっくり返しても証明することは無理。



物事はなるべくフレキシブルに受け止めたいと思っている。
いろいろな方向から見て、偏らないようにしたいと思っている。



こうして、また、決断に時間がかかる結果になるのかもしれない。。。



でも、後悔はしないようにしよう、と思う。
後悔は、論理的じゃないから。







「ワーキングマザー」というカタガキになって、6年が経った。
この6年という時間、子育てに対して、
近くに頼れる人間が、夫以外、誰もいなかった。
夫の両親は遠く離れた九州に住んでおり、
私の実家は商売をしているため、子供を預かれる状況ではなかった。
姉も妹も嫁に行き、それぞれ、干渉しない生活。



何かあったらどうするんだろう。。。



毎日が、綱渡りのような日々だった。



病気になっても、頼れる人はいない、という不安で溢れていた。
頼むから病気にはならないでほしい。
子供たちに有り得ないような願望を押し付けた。



そして、子供の病気はもちろんであるけれど、
自分が病気になる時間もなかった。
自分が倒れたら、この生活は、回らなくなってしまう。。。



とにかく。
ただ、ただ、
気持ちに余裕がなかった。



本当は、仕事なんて何日休んだってよかった。
親に頭を下げて、仕事を休んでもらって、子供を預けたってよかった。
お金を払って、他人を雇ったってよかった。



アタマではわかっていたけれど、
私は、この不安定な綱の上から降りることができなかった。



幸い、うちの子供たちは、大きな病気をすることもなく、元気に成長してくれた。



奇跡に近いことだと思う。



でも、わかってる。
「迷惑をかけまい」と、必要以上に思うことは実は反対で、
私がひとりで全てを抱え込むことが、どれだけリスクが高いことか、
それは、わかっている。
それでも、どの荷物を他人に持ってもらうのが正解なのかを判別できない私にとっては、
自分で全ての荷物を背負っていく以外に、方法が見つからなかった。











もうこれ以上、優しくなんてしなくていいのよ。



時々、こんなフレーズがアタマをよぎる。
優しくされて、それに甘えてしまうことが怖いのだ。



世の中に「優しい歌」はたくさんある。
でも、例えば、「大丈夫だよ」と歌ってくれる歌は、
その受け皿の先に未来はあるのかな、と思う。








・・・・・・・・・・



そう、つまりは、私は他人に自分をゆだねる覚悟がないんだと思う。
何もできないくせに、プライドだけは人一倍高い。
どれだけ「影」になっても、きっと私は変われないんじゃないかと思う。



自分の都合のいいように条件を摩り替えて、
それを正しいものと位置づけようとする癖は、



もう、やめよう。








影になって [partner]


最終電車の響き残して流れた
いちばんなつかしい遠いイメージのように
冷えだした手のひらで包んでる紙コップは
ドーナツ屋のうすいコーヒー
真夜中は全てが媚びることなく
それでいて優しい


「影になって」松任谷由実(1979年12月)(アルバム「悲しいほどお天気」)
作詞、作曲:松任谷由実





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影がある、ということは、
光がある、ということで、
そして、それを映し出す実体がある、ということ。



例えば、透明人間に影はある?



私たちが目にみえるものは、
光の屈折の変化によって形になっているわけだから、
ここで存在している大気と物体の屈折率が同じであれば、
目に見えない、ということはありうるわけで、
光を反射しない透明人間には当然影がない。
でも、実体はある。



ついつい、目に見えるものだけを真実のように捉えてしまいがちだけど、
本当は「透明人間」のように、実体があやふやな場合もあって、
影はそこに見えなかったとしても、本当はあるのかもしれない。
状況が変われば、見えるのかもしれない。
それは、暗闇の中にいるときにも似てる。



「誰かの影になろう」と思うことは、
その光の差す方向が見えるということなんだと思う。
もしも、光に影が必要であるならば、
愛すべき物体の影になることも、悪くはない。



今まで、私は、ずっと、
明るい方へ、明るい方へ、と歩いてきたんだと思う。
取り立てて華々しい、というわけでもないけれど、
いろんな人が、影になってくれていたんだろう。
年齢を重ねるごとに、だんだん気付くことってある。



影もまた、存在。

歩いて帰ろう [science]

嘘でごまかして 過ごしてしまえば
頼みもしないのに 同じ様な朝が来る


「歩いて帰ろう」斉藤和義(1994年6月)
作詞、作曲:斉藤和義





群馬県富岡市に

「群馬県立自然史博物館」
http://www.gmnh.pref.gunma.jp/view/servlet/MuseumTop

というところがあって、
私はこの施設を非常に気に入っていたりする。



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巨大な恐竜、動くよ。。。





ここでひとつ、お勉強など。




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ベルクマンの法則
寒いところに住む動物は、暖かいところに住む同種の動物より、一般的に体が大きい傾向があります。
これをベルクマンの法則といいます。
ヤカンのお湯が、茶碗のお湯より冷めにくいのと同じで、寒いところに住む動物も、体を大きくすることで、体温を保ちやすくしているのです。




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アレンの法則
寒いところに住む動物は、暖かいところに住む動物より、一般に、耳や足など、とび出ている部分が少ない傾向にあります。
これをアレンの法則といいます。
寒いところの動物は、できるだけ体の表面積を減らして体温を保っていると考えられます。
ここでは3種類のキツネについて、耳の大きさに注目してください。



「ベルクマンの法則」「アレンの法則」(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87







・・・・・・・・・・。



うん?
「だから、何?」って話なんですけどね。



世の中のいろんなことには理由があって、意味がない。
これ、前にも書いたかもしれないのだけれど、
私はそんな風に思っていて、
何も考えなければ、自然に「そういうもの」だと受け入れて生きてゆくだけだし、
それをわざわざ取り上げなくても、生きてゆけるのだけれど、
「なぜ、今、こういう風になっているのか」ってことを知ることは、
なんだかとてもワクワクするし、面白い!



知らなくてもいいことも沢山あるし。
知らなければよかったと思うことも沢山あるけれど。



朝が来て、夜が来て、月がまた丸くなって、地球は太陽の周りを一周して、
そんなことの繰り返しが続くだけだけど、
少しでも、自分の満足が満たされる出来事が多い方がいいと思う。
他人が計る物差しじゃなくてね。
だから他人から「どうでもいい」と言われても、
「シロクマがマレーグマよりも体が大きい理由」を知りたいと思うことは、
私の人生にとっては、とても有意義なことということなのだと思う。



世の中は変わってゆくから、
時に戸惑ったり、
時に不安になったり、
それは仕方のないことなのだと、思うしかない。



今年もマイペースで行きたいと思います。



どうぞ、よろしくお願いします。

Sunny day Holiday [news]

Make me lonely ひとりにして
きみがどんなに大事だったかかみしめてる
Make me crazy 苦しませて
ぼくがどんなに ばかだったかわかるために

きみと出会った冬の日が
すごした夏の日が
今でもぼくを照らしている

きみはSunny day
ぼくのHoliday



「Sunny day Holiday」松任谷由実(1997.11)
作詞、作曲:松任谷由実




おひさまが好きだ!
特に、寒い冬の日の、ガラス越しの陽だまりなんて、最高!



「COP15」は、どうにも解決の糸口が見つからない。



COP15とは?
COPは、締約国会議(Conference of Parties)の略です。COPは、国連気候変動枠組条約(UNFCC)を受けて設置された会議で、年に一度、各国の環境に関わる省庁の大臣が集まり、同条約の成果について話し合います。2009年のこの会議は、12月7日から18日までの2週間にわたり、 デンマークの首都コペンハーゲンで行われる予定です。会議の目的は、京都議定書に定めのない2013年以降の地球温暖化対策を決定し、各国の同意を求めることにあります。
                                      《デンマーク大使館HPより抜粋》




私の大好きな「ひなたぼっこ」のためにも、
よい結果を期待したいと願うばかり。。。



「天皇陛下の政治利用」とか、なんとかいうニュース。。。



天皇陛下の祖先は「天照大神」。つまりは「日の神」。
私は特別「天皇信者」ってわけでも、右寄りでもないのだけれど、
やはりこういう運命の人には、いつも明るいところにいてほしいと思う。
そういう星の下に生まれているわけだからね。
間違っても、「天岩戸隠れ」なんてことのないようにね。



天は神々を作り、この世界のバランスを掌るようにしたのだから。
私たちは、常にその事に縛られながら生きてゆくのは当然なのかもしれませんね。
背くものには天罰が下る。
神話というのは実によくできております。。。



それにしても寒いっ!
雪が舞い降りて来そうな空の色になってきました!

10years [children]

あの頃は 何もかも 大きく見えた
あの頃は 何にでも なれる気がした

遮断機越しの ぼやけた景色
気がつけば 母の背を追い越していた

あれから10年も
この先10年も



「10years」渡辺美里(1988.5)
作詞:渡辺美里、作曲:大江千里





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なるべく、ゆっくり、大きくなって欲しい、なんて思うのは、
親のエゴなのかもしれない。



どれだけアタマで考えても、体が覚えなくちゃ上達しない。
何度も何度も転んで、
擦り傷を作って、
そうして、だんだん上手くなってゆく。
やがて、傷は消えて、痛みも忘れてしまうだろう。



私という人間は、個人であるけれど、でも、私だけのものではない。
どうやってここまで歩いてきたのか覚えていない。
自分で選んでここまできたのか、
それとも誰かに背中を押されてここまできたのか、
気付けば、こんなにも沢山の「欲しかったもの」を抱えている。



遠い昔。
幼い私を、育み、愛してくれた人たちに、沢山感謝をしたいと思う。
いつまでも、いつまでも、その暖かい場所にいたいけれど、
そこに甘えてばかりもいられない。
時には、不甲斐ない自分とキッチリ向き合って勝負することも必要で、
それは、理屈じゃなくて、
転びながら、痛い思いをしながら、
少しずつ、自分のパーツになってゆくものもあるのだろう、と思う。



今。
そして。
10年後の未来。



どちらも、自分らしくありたいから。






ダメージ [partner]

冷め切った表情して
ワルぶってみせてる
ストレートに本音を
言えないのはなんでなんだろう

ふりむいてもらいたいのに
追いかけない

イメージ壊されたくない
ダメージ受け止めたくない




「ダメージ」BARBEE BOYS(1985.11)
作詞、作曲:いまみちともたか





自分は「愚妻」だと思う。



「だから何?」という話であるけどね。
それを言葉にするのは簡単で、認めるのもどうってことない話なんだけど、
本当は、それを改めるために、いかに努力をしているか、ということが大事。



努力、してないんだな、これが。(苦笑)



悲しいけれど、夫婦はやっぱり所詮は他人なので。
お互いに思い通りにならないことも沢山あるわけで。
でも、嫌なところを目の当たりにしたり、ケンカをしたり、
素の部分でぶつかってゆくことができるのはとても貴重なことであって、
そういうことを何度も繰り返すからこそ、本質がわかってくるのかな、とも思う。
そういう人間関係、って大事だと思うから。



ストレートに本音。
言うべきだと私は思うよ。
それで、相手を傷つけたとしてもね。
治癒能力があれば、免疫ができて、強くなる、ってもんさ。



ん?
だから「努力が足りない」って話なのか?(爆)



難しいなぁ。(笑)



いろいろ、いろいろ、あるんだけど。
相手を困らせることも時には言わなくちゃいけないかもしれないんだけど、
それでも、それがパートナーってもんだから。



とりあえず。
我侭でごめん。




時をかける少女 [mathematics]

あなた 私のもとから
突然消えたりしないでね

二度とは会えない場所へ
一人で行かないと誓って

私は 私は 彷徨い人になる

時をかける少女 愛は輝く舟
過去も未来も 星座も越えるから
抱きしめて



「時をかける少女」原田知世(1983.4)
作詞、作曲:松任谷由実






たとえば。
「褪せた写真のあなたの傍らに」
と言われたときに、誰の肩を思い出すであろう。


学生の頃の、初恋の君?
それとも、その君を見つめる自分?


時空の波を泳いで、辿り着いたその先で、一体何を見たいと思うだろうか?


「時をかける少女」はパラドックス。
科学者たちが憧れてやまない「タイムトラベル」。
それが何の意味があるの?と言うかもしれないけれど、
全ての物事には、何らかの意味や繋がりがあるんだ、と思うと、
人は「証明」したくて仕方ない、というのが本能なんだと思う。
どうやって、その事実を確立してゆくのかを、いろんな方向から見回して、
こねくりまわして、ああでもない、こうでもない、と考える作業は留まることがない。
数学は哲学!
悔しいくらいに、数学の世界は素敵!!




私は小さい頃、「算数」が好きだった。
なぜ「算数」が好きなのか、
その時にその理由は全くわからなかったのだけれど、
多分、そこにちゃんと「解答」があって、
そこへ辿り着くまでの、
絡まった糸を解いてゆくような作業が好きだったのだと思う。


ところが。
中学、高校、と学年が上がるにつれ、「数学」はどんどん難解になってゆく。
簡単に解ける糸ばかりではなくなってくる。
テストという限られた時間の中で、
解き明かせないまま、×を付けられることが増えてゆく。
そうすると、果たして、本当に「数学」が好きなんだろうか?と思い始める。


受験は過酷。
勉強は、時間との戦いだった。
本当なら、数学が好きならば、数字のことだけを四六時中考えていればいいはずなのに。
そうでなければ、本当に数字のことなんて好きにならないんじゃないか?




大学生の時に、個人指導の塾で、中学2年生の男の子に数学を教えたことがある。
正直に言えば、彼は「落ちこぼれ」だった。
一次方程式を解くのもままならないレベル。
それなのに、学校の授業でやっている連立方程式を解かなければならないのだと言う。


小学3年生まで戻って、ちゃんと、積み上げていかなければ、
同級生と同じテストで満点を取ることなど不可能だと、分かっていたけれど、
彼には時間がなかった。


私は、泣きたくなった。
丁寧に、足し算から、引き算から、
ひとつひとつ教えて、1時間かければ、
この子だって、連立方程式を解くことが可能なのに。
そうして塾の時間でやり遂げても、
次の週になれば、教科書が先に進んでしまう。
やっと組み立てられそうだった真実を理解する前に、
また新しい難問が目の前に立ちはだかる。


これでは、いつまで経っても、真実など見えない。
こうして、また、「数学嫌い」を作ってしまうのだろう。
残念だ。




世の中のいろんな出来事には意味がなくて、
でも、そこに存在している全てのものには理由があって、
それがパラドックスであったとしても、様々な形で証明することが可能で、
過去も、未来も、星座も越えることも、目に見える事実。


早いことは訓練。
考えることは自由。




数学ガール

数学ガール

  • 作者: 結城 浩
  • 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
  • 発売日: 2007/06/27
  • メディア: 単行本



内心、Thank you [mind]

「ふたりで生きてゆけたらもう僕は 
世界中敵にまわしてもいいよ」
悩む君の瞳に 内心、Thank you

風当たり強い坂道をのぼって
あと5分だけ一緒にいたいな
そんな我儘も 内心、sorry

三叉路で見つめ合ったまま
動けない 影ふたつ
All I can say is "Thank you”.

「内心、Thank you」The東南西北(1986.4)
作詞:松本隆、作曲:久保田洋司






日本人は「3」が好き。
これ、有名な話。



アンケートなんかの質問に答える時に、こういうことが多々ある。
「はい」
「いいえ」
「どちらともいえない」



これ、本来おかしいと思わない?
質問の答えは、「Yes」か「No」しかないはずなのだ。
それが答えられない時点で、本当はその質問には答えていないことになるはず。
それなのに、多くの場合で、この「どちらともいえない」という答えが存在し、
かつ、それが受け入れられるのである。
不思議だと思わない?



しかし、人間、そう白黒はっきり決められることばかりじゃない、というのが本音。
「白でもなく」「黒でもない」そういうことがあるわけで、
「三叉路で見つめ合ったまま動けない」というシチュエイションもアリなわけで、
そのどっちつかずの状況が「バランスが取れている」ように感じる。
それは、椅子の足も3本あれば安定するってことと同じ。



「3」は永遠に割り切れないからいいのである。
「2」のように割り切れたりしないから、
対立しないから、好かれるのである。



「go」と「stop」以外にも答えがある。
こういう「曖昧さ」を日本人が好きだということがわかっているから、
松本隆はヒットメーカーなのだと思う。



ところで。
パリの凱旋門のロータリーは、
12本の道路が集まってる、って知ってる?
ビギナーは、一度そのロータリーに入ると、
なかなか行きたい道で曲がれなくて、
何週もぐるぐる回っちゃうんだって。
どこが曲がるべき道だったか、ワケわかんなくなりそう。。。
もう「三叉路」どころの悩みじゃない、って感じ?(笑)

僕の森 [mind]

ビルの街に たったひとつ
ただ一本きりの
僕の森に逢いにゆくよ 遠回りして
アスファルトに影を落とす
君の枝の下で
空と土の声を聴くよ
瞼閉じて

静かに息をするだけで ふたり
いちばん小さな輪廻の宇宙

ああ 明日さえ 昨日さえ 霞む
木漏れ日の中で
悲しみの影さえも失くす
My only lonely forest・・・



「僕の森」遊佐未森(1989.9)
作詞:工藤順子、作曲:遊佐未森






忙しいときほど、本来はちゃんと休息を取るべきなのである。



少し無理をすれば、
あと少し頑張ってしまえば、
そういう時、休息を取り損ねることがよくあるけれど、
その気持ちをグッと我慢して休む、ということは、
その時は遅れを取ったような気持ちになるけれど、
その効果が、後々、大きなものとなって出てくる場合も少なくない。



ただ、「適度な休息」というのは意外と難しいものである。
休んでばかりでは一向に前に進まない。
ここが、また、難しいところ。



「森」は英語で「forest」という。
様々な語源があるらしいが、その中の一つが、
「for rest」。
つまりは、「休むための場所」ということ。
現代人も、時々は、森に行くといいのかもしれない。



ところで、最近、一部の若者たちの間で「盛る」という言葉があるらしい。
「ギャル語」というヤツ。御存知か?
元々は、髪の毛を過剰に大きく見せたり、化粧を派手にすることだったらしいのだが、最近では、過剰な演出をすることも「盛る」と言うらしい。



「森羅万象」という言葉があるように、「森」には様々なものがある。
「森」の語源は「盛」であると言われていて、
死体を埋めるための墓も「盛」であるし、
生命が生まれるために土が盛り上がることも「盛」である。
すなわち、始まりでもあり、終わりなのでもあり、続いてゆくものなのである。
今、ギャルたちが「盛る」という言葉を盛んに使いたがるのには、
無意識のうちに、その言葉の「音」に心地よさを感じているからかもしれない。



まあ、十中八九、ただの「偶然」だけどね。(笑)
でも、こうして選ばれてきたのは「必然」なのかもしれないと思うと、
なんだか面白い。



誰の気持ちの中にも「僕の森」は、必ずあるのだと思う。
ぜひ、時々は、遠回りして、逢いに行ってほしいと思う。

旅立つ秋 [season]

夜明け前に見る夢 本当になるという
どんな悲しい夢でも 信じはしないけれど
明日 霜がおりていたなら それは凍った月の涙
秋は木立をぬけて 今夜 遠く旅立つ
今夜 遠く旅立つ


「旅立つ秋」荒井由実(1974.10)
作詞、作曲:荒井由実





季節というのは本当に留まることを知らない。
友人に、クリスマスリースの素材が何かないかと聞かれたので、
さっき、会社の裏庭を散策してきたのだけれど、
そこには、すっかり、何もなくなっていた!ガ━━Σ(゜Д゜;)━━ン!!


ついこの間まで、「ウメモドキ」や「ムラサキシキブ」や「ヤマボウシ」なんかの実があったはずなのに、「サザンカ」だけが赤々と華やかに、一人勝ち!!


植物は、なんと温度に敏感なのか。
我々が、こうして日々の多忙に追われている隙に、
もう、秋は黙って旅立ってしまったのかもしれないね。。。

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